なかなか解決しないロヒンギャ難民

社会

⒈ロヒンギャ難民とは

ロヒンギャ難民は国連が最も急激に拡大した難民で、歴史や宗教の問題が根底にあります。
ロヒンギャはミャンマーのラカイン州に住む少数民族です。

彼らはイスラム教を信仰していますが、歴史上初めて登場するのが1950年と明らかにされていないことが多いとされます。
1799年にはイギリス東インド会社のスコットランド医師が当時のミャンマーであるビルマを訪れた時にラカイン地方にルーインガと呼ばれる人々が暮らしていたと残していますが、それがロヒンギャを指すのかは分かっていません。

しかしロヒンギャの知識人たちは8世紀頃が起源だと主張し、仏教徒とムスリムが共存していたアラカン王国の首都ムロハウンがロヒンギャの語源と言っています。

7世紀に誕生したイスラム教が1世紀東南アジアまで伝播するかは疑問視されていますが、アラカン王国がビルマ王国に侵略されるまではミャンマーの地を支配していた歴史は事実です。

19世紀にラカインがイギリスの植民地となった時、多くのベンガル人がラカインに移住するようになりました。
多くの仏教徒と少数のイスラムというバランスが崩れた原因です。

⒉第二次世界大戦で両者の対立はより深刻化

次第にビルマは全土がイギリスによって統治されるようになり、インドからも移民が押し寄せるようになります。
インド人はヒンドゥー教徒とムスリムがいますが、ラカインに移住したムスリムは下級労働者となって元々暮らしていた仏教徒と文化や習慣などで衝突しました。

第二次世界大戦でアジアも戦場となる頃には両者の対立はより深刻化し、日本とイギリスが戦争をしている中で仏教徒とイスラムの争いも勃発してしまいます。

実際に血を流したことで両者の関係は修復できなくなります。
戦争が終結してビルマがイギリスから独立した後、ラカインは政府がコントロールできない地域として放置されました。

インドとパキスタンが戦争をしていた時には、東パキスタンで困窮していたベンガル人が流入してきます。
ベンガル人もムスリムで仏教徒はさらに憤慨します。

ムスリムの中には武装し反乱を起こす者たちが現れ、ラカインが混乱した中で名乗りをあげたのがロヒンギャです。
つまり、アラカン王国からイギリスの植民地時代、第二次世界大戦、インド・パキスタン戦争の4つの段階で流入したムスリムによりロヒンギャは構成されています。

⒊バングラデシュに20万もの難民として流入したロヒンギャ

彼らが世界的に知られるようになったのは1970年代と90年代にバングラデシュに20万もの難民として流入した時です。
大量に流入したことを受けバングラデシュとビルマは陸の警備を強化し、ロヒンギャは海路でインドネシアやマレーシアを目指しました。

当時の東南アジアでは人身売買など闇のルートが確保されており、ロヒンギャ難民を受け入れるメリットがありました。
しかしタイが人身売買などを取り締まり闇のルートが使えなくなると、ロヒンギャたちは大量虐殺のターゲットとなります。

2015年にはどの国も彼らを受け入れたくなくて、船の上で孤立するロヒンギャ難民がニュースで取り上げられました。
元々ロヒンギャが暮らしていたミャンマー政府は、彼らを自国民とは認めずバングラデシュから不法に流入してきたと主張しています。

ミャンマーは仏教徒が多数派であり、少数派のロヒンギャは不法移民という扱いです。
このように昔からロヒンギャに対する差別はありましたが、現在ロヒンギャ難民というと2017年に起こった大量虐殺を指します。

2017年8月にアラカン・ロヒンギャ救世軍が多数の警察施設に武力攻撃を加えました。
武力攻撃とありますがアラカン・ロヒンギャ救世軍はサウジアラビアに住む裕福な人々で地元のロヒンギャにどれほど支持されていたかも分かりません。

⒋ミャンマーはロヒンギャに国籍を持つことを禁止している

しかしミャンマー軍は武力攻撃を仕掛けた組織を掃討するという大義名分を使い、村を焼き討つなどして一般市民を殺害しました。
1ヶ月に6700人ものロヒンギャが殺され、女性や子供は性的暴行も受けました。

掃討作戦は9月5日に終わったと発表していますが、実際はそれ以降も続きバングラデシュをはじめとした周辺国に逃げる人々で混乱が生じます。
ミャンマーはロヒンギャに国籍を持つことを禁止しており、異なる宗教を信仰する人との結婚もできません。

社会的に差別されており、過激派の仏教徒たちは民族浄化まで望んでいます。
昔から宗教や民族の違いで差別されてきた彼らが、現在難民となり安心して過ごせる場所を探しているのが現状です。

多くのロヒンギャ難民が頼りにしていたバングラデシュは豊かではなく土地も狭いため、受け入れに難色を示しています。
国連安全保障理事会はミャンマーに武力攻撃を中止するように求めただけで、ロヒンギャの人権を保護できる動きは見せていません。

関係する国はいずれも責任を負いたくない姿勢です。
日本ユニセフ協会によると、まともな食事を与えられず子供たちは教育を受けられない日々は続き、最近では天然資源を巡る策略なのではという憶測まで飛んでいます。

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